2013年12月26日木曜日

時代の脆弱性

  
 例の海底ケーブル切断事故によりネットが使い物にならなくなっているワケですが、こうなってみると「ブレジンスキー」の言う、


「情報はエリート層に管理される」


・・・と言う言葉が、身に染みて現実的に感じられます。

 現在、割合スムーズに接続できるサイトとそうでないサイトの差が見られ、前者は「グーグル」が筆頭であり、後者は弱小プロバイダーです。

 「グーグル」は資金力もあり、ブっ太い回線を物理的に確保しているワケで、不測の事態や事故により回線の物理的容量が限られていまうと、弱小プロバイダーが残された容量(回線)に殺到するため回線の速度が低下するのは、水道の蛇口をひねるのと同じ理屈です。

 で、問題となるのは、同じ状況は事故などが発生しなくても、「通信回線」を抑えている企業が出し惜しみ?というか回線の蛇口をひねれば発生することです。

 すなわち「ブレジンスキー」が言うように、「エリート層」が通信回線を物理的に支配している以上、「情報」はいつでも簡単に操作できるということです。

 デマなどを流さなくても、情報を遮断することや選別することで簡単に社会を操作することが可能であり、それは取りも直さず「情報」というものを「当たり前のもの」と考えてきた、「現代文明の脆弱性」に他なりません。

 「特定秘密保護法」が成立したことにより、「ステルス領域」・・・すなわちネットの世界から攻撃対象になるだろうと言ったのは、正にこのことなワケです。

 「特定秘密保護法」が成立するとタイwホされるかも知れないからといって、早々にブログを自主閉鎖した「知的」な方々もいますが、タイwホなんて目立ったことは最後の最後にすることで、「反体制的」と指定したブログなどをネット上で抹殺・・・とまではいかなくても、人為的に常時繋がり難い状態に「設定」し、人知れず葬り去るなんてことはカンタンなことなのです。

 つまりネットそのものも「エリート層」の所有物であり、その中で「自由」だの「反権力」だのを叫んでいるのが、所謂「ネット言論」の本質的な姿だということです。

 この現実を理解した上で、「自由」と「民主主義」の闘いをどう展開させていくのか?

 ひとつの答えは、「人間同士のつながり」ということになるのでしょうし、数の上では圧倒的に「少数派」である「エリート層」にしてみれば、それを一番恐れるでしょう。

 その点で、「デモは無力だ」・・・という人もいますが、とりあえず人が集まるということだけでも、「情報」の交換であるとか、インターネットとは別な情報網の構築という目的からすれば、十分に意味のあることだと言えます。

 「チェ・ゲバラ」も言ってますが、人は一人では弱い存在であるから、力を合わせなければ独裁者には勝てない・・・という言葉は、ネットで「繋がった気になっている」多くの現代人に向けて、今なお色褪せない言葉だと思います。

 人と人が、「手に手を取って」繋がっているか?・・・それとも「他人の仲介」で繋がっているか?

 他人の仲介で繋がっているのが、正に現代のネット社会の実相であり、人間同士が手を取り合って繋がることができるような・・・少なくとも国民が一切の物理的制約を受けることなく、公平に利用できるネット環境の構築が求められます。

 つまり、国民の出資による「国営ネットプロバイダー」の設立なくしては、日本に真の言論の自由は育たないだろうと。

 と、いうワケで、相変わらずネットの接続状況が悪いので、最近ネットから離れて生活しています。

 一番の問題は「ロシアの声(Voice of Russia)」がゼンゼン開かないことで、ロシア発信ではなく、どうも日本国内にサーバーがあるよです。

 繋がり難い状況のせいで、逆に見えてくるものもある・・・と、いうこうことですなw。

 これが本年最後の記事になると思います。たぶん・・・。


それではみなさん、良いお年をお迎えください。








人間ナメんなよ!


でわっ!