2013年12月17日火曜日

図解 「特定秘密保護法」

  
 「Openブログ」さんのところの「図」にヒントを得て、ワタシも「図に乗って」描いてみたワケですが、こうしてみると「特定秘密保護法」のポイントが良くわかりますw。




 「Openブログ」さんも言っているように、「コアな秘密(黒丸)」を守ることに対しては、みんな必要性を理解しているワケですよ。

 問題は、その周辺の「公になっていない情報」で、「安全保障」には影響を及ぼさない情報の扱いなのです。

 各行政機関による「特定秘密の指定」は、当該行政機関の長の判断に委ねられており、「コアな秘密」の外側にある「特定秘密の壁」の大きさは、別表に従ったとしても判断の差異により、行政機関によってマチマチになるでしょう。

 それを統一する為に、「第三者機関」の設立が求められているワケですが、ワタシ・・・ここで「根本的な疑問」が生じたワケです。


法(法律)とは、誰のためにあるのか?


 言い方を変えると、


法(法律)の柱とは何なのか?


・・・ということで、ワタシも勘違いしていた部分があるのですが、「特定秘密保護法」の番人?が政府だとすると、法の運用上で上下の関係が生じてしまうように思えたワケです。よく言う・・・


お上の言うことには黙って従えばイイ。


・・・というアレです。

 封建制度の社会ならともかく、日本は民主主義を標榜しており、日本国憲法には「法の下の平等」が明記されています。



日本国憲法

第三章

第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

 となると、「法を司る」という表現は間違いであり、「法を守る」という表現が正しく、「司法」という表現は、「守法」という表現に変えた方が「理に適っている」ということになりますなw。

 では、法の主人、番人とは誰なのか?・・・と思いを巡らせば、答えはスグに見つかります。



日本国憲法

前文

・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。・・・



 日本国の主権者は日本国民であると日本国憲法で確定し、また、すべての法律は日本国憲法の下位であるとしている以上、日本国内の法の主人は日本国民ということになります。



日本国憲法

第十章

第九十八条
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。



 それ故、「自分で決めたことは、シッカリ守れよ。」・・・というコトに繋がるワケです。



日本国憲法

第三章

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 


 そこで、「法の主人は日本国民の総意である」ということを理解した上で、話を「特定秘密保護法」に戻すと、各行政機関を統べ、同法を支配するかのような立場の「第三者機関」の存在は、


法の下の平等に反しないのか?


・・・という疑問が沸いてきたワケです。少なくとも日本においては。

 例えが適切かどうかアレですが、「道路交通法」「すべて国民」が従います。首相であろうと「スピード違反」したらキップを切られます。それを揉み消すかどうかはアレとして、「道路交通法」の対象外となることはできませんし、警察自体にしても「道路交通法」の違反者を取り締まるのが仕事であり、警察が「道路交通法」の責任者というワケではないですよね?

 つまり、「道路交通法」は交通安全を願う「国民の総意」であり、「すべて国民」が「道路交通法」の責任者だということです。

 そしてその他の「法」にしても、「国民の総意」という原則の上でその運用、施行が認められており、故に、「法の下の平等」が成立するワケです。

 で、度々話が逸れてアレですが、河野太郎議員が憂いていた「特別管理機密」の制度ですか?これは謂わば「各省庁における自主運用」であり、それがバラバラに運用されるのは、ある意味「民主的」であるとも言えます。

 しかしながら、その運用実態には目に余るものがある・・・という河野議員のお嘆きも理解できますし、公の機関の情報開示に対する対応がバラバラというのも、国民からすれば迷惑な話です。

 また、「安全保障」などの「公共性の高い情報」を保護する面からしても、「統一規格」のようなものが必要になるのも確かでしょう。

 ワタシに限らず、ほとんどの国民はソレに同意するでしょうが、問題は「国民の総意」が得られていないのに


強行採決


・・・をするというやり方です。それはつまり、「法」としての存在理由を自ら否定するようなもです。

 「特定秘密」を保護することに反対する国民は多分いないハズですが、「保護」の方法には十分な検討が必要であり、強行採決された「特定秘密保護法」を読み直しても、「不完全な法律」である・・・と断言しちゃいます。 

 このような法律に「国民の総意」は得られないでしょうし、ソレ即ち、


法律として認められない


・・・ということです。

 具体的に挙げるならば、図に示したような「グレーゾーン」の規定が全く無いことです。ジッサイには「安全保障」に関わらない情報なのに、それにアクセスしたら一方的に罰せられる可能性が高く、謂わば「冤罪被害者」にされかねません。

 そうした「冤罪」を救済する措置が盛り込まれない限り、「特定秘密保護法」は「秘密保持者」の都合のイイように使われるだけで、


法の下の平等


・・・という、「日本国憲法」の原則が保障されません。

 よって、「特定秘密保護法」は違憲であると言わざるを得ず、当然のことながら「国民の総意」も得られず、


仏像彫って魂入れず


・・・じゃないですが、「法としては何の価値も無い」・・・というコトです。はい。





【宮内庁】皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)



皇后陛下お誕生日に際してのご近影


「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」








人間ナメんなよ!

でわっ!