2010年11月7日日曜日

動画流出騒ぎによせて 2

 あのwww、素朴な疑問なんですけどね?誰かが言い出すだろうと思っていたんですが、誰も触れないのでワタシがお聞きしますが、海保の巡視艇にしても、中国漁船にしても・・・
GPS

を装備していたんじゃないの?であれば、事故の発生地点なんてアッという間に特定出来るワケでしょ?それをビデオを見ただけで「ああだ、こうだ」と、憶測と感情が入り乱れた意見を只繰り返すだけなんて、正常な思考力と判断力をみなさん欠いているんじゃないですかねえ?なんか情けなくなってきますわ。これが先進国と言われる日本の知的レベルかと思うと。

歴史は事件の積み重ね

 がワタシの自論であるワケですが、であればこそ、「事件は事件」として冷静に、そして正確にその内容を見極めなければならないと思うワケですよ。漁船がどう逃げ回ったとか、巡視艇がどういう配置で、どう追い掛け回したとか。流出したビデオだけでは不明な点が多すぎます。

 過去において歴史の捏造は、権力者にとっては容易に出来た事でしょうが、ネットが普及した現在、ワタシたち権力者以外の庶民も、「ウィキリークス」などで事件の真相を知る事が可能なワケです。今回のビデオの流出にしても以前は考えられなかった事ですよね?

 ネットが存在しない社会であったなら、政府発表とかマスコミ発表をそのまま鵜呑みにするしかないワケです。それが今回の場合、多くの人が「その時、何が起こったのか?」を知る事が出来ました。コレってスゴイ事のように思うのですよ。ネットの無い青少年時代を過ごしたワタシなんかにとってわ。はい。

 昔は・・・と言うとジジ臭いですが、情報はほんの一握りの人間が独占していたんですよ。それがどうですか?みんなが瞬時に同じ情報を共有出来るようになったなんて、素晴らしい世の中になったとは思いませんか?少なくともワタシはそう思います。

 しかし情報が増えると、個人個人の情報処理の負担が増えるのも事実です。つまり情報処理能力を問われる時代になった・・・と。

 そこでですよ、各個人の情報処理の根幹に係わる、各人の自主性が問われる時代になったとも言えるワケです。はい。つまり個人個人の「哲学」が問われる時代でもあると。

 幸い?というか、ワタシらの世代はネットの無い時代を経験してますので、その時に何に人生の指標を求めたかと言うと、「読書」でしたね。イロイロな本を読み、自分の心と対話し、自分自身の考え方を構築する。本の内容に「賛同」するのも自分。「反論」するのも自分。その作業?が今にして思えば、この「情報過多の時代」の中で、情報の処理に役立っていると実感します。

 いまさら若い人たちに、「本を読め」と勧めてもムダなような気もしますが、確かな事は、自己が確立していないと、外部からの情報に振り回される。それだけは確かなように思います。

 で、流出ビデオに戻りますが、これにしても「証拠」のひとつに過ぎません。それも不十分な。そうですよね?なにしろ既に編集済みであるワケだし、音声と映像を別々に合成だって可能なのですから、絶対的な信用を置くのは危険です。それを補完する別な証拠・・・GPSデータとかか揃わないと、事件の真相を軽々しく口には出来ません。

 自分が交通事故を起こした時、警察の交通課の鑑識には事故状況を丁寧に調べて欲しいですよね?フツウ。なんか・・・現場の写真一枚撮っただけで現場検証終わり。って、納得出来ます?後日の裁判で、ちゃんと裁判出来るんかいな?と不安になりますね。ワタシは。道路上だろうと海上だろうと、事故は事故なんです。

まず事故の検証を徹底的にやれ!

そう思いますケドね。

 それからでもいいでしょう?領海侵犯で騒ぐのも、中国憎しでデモをするのも。別に海とか島とかは無くなりませんから。なんの不都合があって、そんな早急に騒ぎ立てるんですかね?ナンカ故意に騒ぎを起こしたくてしょうがない暇な人でもいらっしゃると?

 まあ、いずれにしろアレだ、「武士(もののふ)」の心得として、事において動じず、沈着冷静に対応する。・・・というのが、「サムライJAPAN」の在るべき姿のよう思うワケですケドね?「RONIN」としては・・・。


でわっ!

おまけ