2011年11月16日水曜日
オツムの除染
このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
しかし、相変わらず廣宮孝信センセイ?のツッ込みは・・・
コクがあるのに、切れがある。
・・・の一言ですなあ。ヘタな漫才を見るよりよっぽど面白い。中野センセイとコンビを組んだら最強ではなかろうか?・・・と。
<転載>
「TPP」より 「11月27日」
2011年11月15日09時00分
<抜粋>
しかしこの後、国を開き、次代に向けて国の体制変革をリードしたのは、薩摩と長州の人たちです。江戸幕府の中枢にいた役人でも代々の将軍を出してきた御三卿でもなく、江戸から遠く離れた鹿児島や山口の地の人たちだったのです。
</抜粋>
</転載>
馬鹿言ってんじゃねエmmm!
本当の歴史はコッチです。
<転載>
434:反TPPは攘夷運動?~三宅久之さんの「反TPP派は幕末の外国船を打ち払えと言ってた連中と同じ」説を論破しましょう♪
<抜粋>
さて、このTVタックルと、前々回くらいの「たかじんのそこまで言って委員会」でもでしたが、三宅久之さんの「反TPP派は幕末の外国船を打ち払えと言ってた連中と同じ」という論法について論破しておきたいと思います。
これについて、昨日は「開国を言っていた良識派はみんな殺されてしまった」ともおっしゃっていました。
え?逆じゃなかったでしたっけ?
開国派の井伊直弼が「外国船を打ち払え」と言っている攘夷派を徹底的に弾圧、粛清しまくったのが安政の大獄ですよね?
それで吉田松陰も刑死しましたよね?
で、攘夷派の代表格である長州や薩摩は実際に外国船を打ち払おうとして、返り討ちにあい、それぞれ、下関戦争、薩英戦争でボコボコにされて攘夷はあきらめ、「尊皇攘夷」が「尊王倒幕」に変化したんじゃなかったでしたっけ?
</抜粋>
</転載>
中学生でも分かる「ウソ」を、「息をするように吐く」のが「恥識人」ですなあ。「尊皇攘夷」で振り上げたコブシでしたが、薩摩も長州もジッサイにイギリスと戦火を交え敗北。が、そんなのは地方の跳ねっ返りの暴走に過ぎず、幕府は独自に開国の方策を練っていたワケです。
薩英戦争
1863年
下関戦争
1863年、1864年
格好がつかないのが薩摩と長州で、コブシを振り上げちゃったケド「蟷螂の斧」であることを自覚し、このまま幕府主導で開国が進めば、自分たちの立場が無くなると恐怖したことでしょう。それでなくても幕府に良く思われていないし・・・。
そこで起死回生の策として思いついたのが、
幕府を倒し開国の主導権を奪う。
というナイス・アイデアです。そしてこれは、イギリスの思惑にも合致したのでしょう。
イギリスが薩摩、長州に勝ったとて、一地方自治体の反乱の鎮圧にすぎず、開国交渉の相手は、依然、手強い幕府。日本を意のままにするには薩摩、長州を操って幕府を倒し、それに乗じて利権をガッポリ・・・と。
戊辰戦争
1868年 - 1869年
で、日本の内戦で儲けるには、英が倒幕側、仏が幕府側に、武器・・・アメリカ南北戦争向けの余剰在庫を調達して。・・・と。
南北戦争
1861年 - 1865年
てコトは、アメリカで南北戦争が無かったら、戊辰戦争(明治維新)も起きなかった・・・かも知れないですな。ま、歴史に「もし」はナントヤラですが、長州ファイブ・・・井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人の肖像写真が、英国のフリーメイソンのロッジにあるのは、そういうワケなんでしょう。
長州五傑(ファイブ)
ま、それが「尊皇攘夷」から「尊皇倒幕」への一連の流れの真相・・・といったトコロでしょうか?多少「陰謀論」じみていますが、事実、証拠を調べるとそうなるというコトです。
いずれにせよ「恥識人」の皆様におかれましては、「嘘をつく」のも大概にして頂きたいですな。次の世代を担う子供たちの教育上・・・
いかがなものか?
・・・と。
で、TPPの構図もコレに似ていません?薩長が己の保身から攘夷 ⇒ 倒幕に鞍替えしたように、TPP推進派の勢力って・・・ナンか不純な動機が見え隠れするんですよねえ。
山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
衣の下の腹黒(皮算用)が見える【経団連会長の住友科学はモンサントと農薬で提携=#TPPの受益者】10/6米倉経団連会長、JA北海道でTPP交渉参加に理解を求める。
それはそうと、先のような浅はかな歴史認識で日本の「開国」を語ろうなんぞ「笑止千万」。いままで何を学び、何を詰め込んできたのか知りませんが、
オツムの除染
が必要なんじゃないですか?・・・お後がよろしいようで。orz
民主主義ナメんなよ!
でわっ!