2011年11月10日木曜日

民主主義を死守セヨ! 2

         
 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 随分前に「民主主義を死守セヨ!」というエントリーを掲げましたが、今回のTPP交渉参加問題も、昨夜の民主党経済連携プロジェクトチームでの意見集約の結果を踏まえれば、到底「参加表明」などもっての外。・・・となるのですが、それを「首相に一任」とわ?

 ワタシたちの代理である議員の意見を無視するということは、ワタシたちを無視することであり、ひいては「日本国憲法」をも無視することです。何度も言いますが、そんな「独裁者」を首長として仰ぐ気はありません。


日本国憲法前文

<抜粋>

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、

その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。

</抜粋>


 で、かかる事態は「日本国憲法の否定」にも繋がるワケです。もうね?経済だの発展だのといった次元の話じゃナイのです。憲法=国の指標・・・謂わば「国家の品格」にも係わる問題なのですから。

 「アメリカは日本の父親だ。」とホザいている「恥識人」もいますが、そういった「外圧で日本を改革せよ」とか、「取り敢えず参加(開国)」とかいう論客はあまりに


無責任!


と言わざるを得ません。

 外圧(ムチ)で打たれなければ何もできないとしたら「家畜」と一緒です。ワタシは日本を「家畜」だとは思っていませんし、ムチ打つ側に回る気もありません。

 「取り敢えず開国論」にしても、TPPの情報開示が不十分な段階で「取り敢えず」というのは、


死ぬ気か?


としか思えませんなあ。名のある登山家にでも聞いて下さい。


山で遭難したらどうするか?


偶有性とやらに賭けて、闇雲に前進するんですか?・・・と。

 TPPは情報の開示が不十分なこと、議論が出尽くされていないことからして、軽はずみな判断をすれば「国家100年の計を誤る」・・・遭難するのは明白ですなあ。

 ある「恥識人」は反原発、反TPPを、「古き良き伝統への回帰」と見なし、回帰への欲求がアメリカへの怨み(ルサンマルチン)だと言います。それは強い父親に逆らえない子供の感情だと言うワケです。

 そして、そういった日本の「古層」は古いモラルにしがみ付き、強い父親との間に生じる葛藤を背負い続けるだろう。・・・と。

 で、そこで終わりなんですかね?葛藤を抱えたままで終わりなんですか?この「恥識人」のアタマの中は。そんな葛藤が生まれるなんて、とっくに分かっていたワケですよ。その先が大切なワケですよ。それを指し示すのが「知識人」なんじゃないの?

 偶有性とやらに向き合うにしても、それなりの準備をした上で


運を天に任せる

 
のならまだしも、怠けて何の準備もない状態で、偶有性に潜む「幸運?」を期待しようというのも、あまりにムシが良過ぎるんじゃないの?と、ワタシは思うんですケドね。


日本人が気がつかないTPPの罠




でわっ!