2011年11月7日月曜日

当事者意識とTPP

  
 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 もうね?BLOGOSは雑多な論客で溢れていて、ついつい論評したくなっちゃうんですよ。そんなワケで少々おつきあい下さい。


<転載>

自由のありがたみを感じる個人、感じない組織
2011年11月06日11時06分

不自由な世界が自由になると混乱します。

ちきりんが見た限り最も混乱してたのは、ソビエト連邦が崩壊してロシアになった時です。何もかも不自由だったのが一気に自由になって、めちゃくちゃなことが行われていました。

見たこと無いけど、大政奉還、明治維新の時も、身の回りのあらゆるコトが自由になって混乱してたんだろうなと思います。今までは農民に生まれれば農民、武士に生まれれば武士だったのに、突然「好きな職業選んでOK!」とか言われても困るでしょ。「どこに住んでもいい」とか言われても、「どっ、どこに住めば???」って感じよね。

個人レベルで見ても、親の家に住んでた時期はそれなりに生活もきちんとしてたのに、一人暮らしを初めて自由度100%になったら突然、むちゃくちゃな生活になっちゃう人も多いです。自由って怖いのよね。

★★★

現代日本においても、平成になったあたりから人生のクリティカルポイントが自由になったため、やたらと混乱しています。昔は「誰とでも結婚する時代」だったのに、最近は「好きな人と結婚する時代」になりました。圧倒的に自由になったように思えますが、結婚できない人が急増しました。

「誰とでも結婚する時代」なら、親、親戚、世話焼きの仲介人などの言うとおり、2回会うかどうかで結婚を決めてたのに、自由な結婚市場ができてしまうと、そんなんで決断する人はいなくなってしまったからです。自由って圧倒的にめんどくさいんです。

就職も全く同じです。昔は「どこにでも就職する時代」だったのに、今は「入りたい会社に就職する時代」になりました。革命的に自由になったように思えますが、仕事を得るために求められる費用や手間やエネルギーは何十倍にも増えました。

ちなみに昔の就職がどんなだったか、これ読んでみてください。ちょっと感動しますよ。→ 「時代と共に幸せに」

世界が不自由であった頃、いろんなものが手に入っていた人も、世界が自由になったとたん、何も手に入らなくなったりします。そうなれば「自由なんておかしい!昔の方がよかった!」と思う人がでてくるのは当然です。

もちろんごく一部の人は「自由になったこと」の恩恵を最大限に受けています。いわゆる“市場原理下での勝ち組”の人達です。そういう人の数は多くないので、ものすごい嫉まれたり反発を受けたりします。簡単に言えば、自由になると「結果平等」が崩れるので、社会は分断されるわけです。

分断後のグループはこの3つです。

・「自由なんてクソくらいだ。不自由な世界に戻りたい。戻るべきだ!」(←規制強化派)、

・「自由はいいけど、やってけないオレ達に手厚い補償を!」(←大きな政府派。左派)

・「不自由な時代に戻るなんて時代錯誤!問題は市場で解決すべき!」(←自由主義者)

(政党もこの3つに分かれればいいのに、民主党はすべてのグループを党内に抱えているのでいっつも仲間割ればっかりしています。)

★★★

さてこのように、「自由って大変」なのでありますが、個人レベルでみればそれでも大半の人が「自由になったことで引き起こされた問題は、自分達の努力や市場の工夫で解決すべき」と考えています。

たとえば、「親が写真交換して結婚」の時代が終わり、結婚相手を見つけるのが難しくなっても、「写真と釣書を見て2回会って結婚したい!」と思っている人よりは、「婚活サービス会社にお金払って、自分も最大限努力して結婚したい!」と思ってる人の方が多いでしょ。

就活がすごい大変だ大変だと言うけど、彼らだって、先生や教授が「ここにいけば?」って言ってくれたらオレはそこに就職する。だからそういう方式に戻せ!と主張してるわけじゃなく、なんとかもうちょっと合理的な「自由就職」の方法論があるはずだろ?それを探すべきだ!と言っているように聞こえます。

ところが組織レベルになると、「昔に戻せ派」がやたらと増えます。彼らはすぐに「派遣制度なんて廃止しろ」とか、「貿易をやめて鎖国しろ!」などと言い出すのです。

この個人と組織の行動の差がすごく興味深くて、ずっと「なんで違うんだろ?」と考えていました。んで、最近思ったのは、個人の場合は「不自由である」ことがすごくつらいのに対して、組織って「不自由である」ことが、あんまりつらくないんだな、ということです。

だっていくら結婚できて就職できても、個人の場合、「2回会って結婚」とか「はい、キミはこの魚屋で働いてね」って感じで割り当てられた仕事に就くとか、つらいでしょ?

でも組織って「決められたとおりに、何も考えずに、過去行われていた通りにやっていたら利益がでました」みたいな不自由な状況が、全然つらくないんですよね。むしろ心地よいのだと思います。何十年も同じことやってて、それで儲かるなら超ハッピー!なんです。

これ、個人だと、いくら毎年きちんと給与がもらえても「一生コレやってて下さい」って割り当てられた仕事を続けるのってかなりつらい。ここがまさに、個人と組織の大きな違いなんです。

じゃあなぜ個人は「自由のなさ」に耐えられないのに組織は耐えられるのかというと、「不自由であることのつらさ」は精神的なものだから、です。だから個人としての“人間”はそれを感じるけれど、組織はそのつらさを感じないんです。

「決められた仕事しかしない」組織において、そこで働いてる個人はたとえ給与がちゃんと支払われていてもそれを「耐えられない!」と思うけど、組織の方は利益さえでてれば、つまんないからイヤだとは思いません。むしろ「儲け続けられるビジネスモデルがあって安泰」とか考えます。

一言でいえば、「自由のありがたさというのは精神が感じるモノ」なので、個人はソレを感じるけど、組織はそのありがたみを痛感できない。だから組織は平気で「不自由な時代に戻りたい。規制強化しろ」みたいなことを言い出す、ってこと。

ここが、一旦自由を知ってしまうと自由のありがたさを痛感し、少々大変でも不自由な時代に戻りたいと思わない個人とは全く違います。

ここんとこの日本を見ていると、ちきりんはこの差をあちこちで痛感します。個人はみんな少しでも大きな自由を求め始めているし、実際にどんどん自由になりつつある。でも組織は本当に保守的。一歩たりとも前に進みたくないという姿勢が露わなところも少なくない。

だからこれからも個人はどんどん自由になると思うけど、企業であったり国であったり官僚機構であったりという「組織が変われるか?」というのは、相当強力な個人(独裁的に力業で組織をねじ伏せる個人)が現れない限り無理なんだと思う。


何が言いたいかって?27日めっちゃ楽しみ!ってこと。

そんじゃーね。

</転載>


 ま、端的に言うと、この人が属する組織は今のところ「勝ち組」で、組織に属していることに安寧を覚えているというコトでしょうな。


何が言いたいかって?27日めっちゃ楽しみ!ってこと。

そんじゃーね。


 しかしねえ・・・全ての組織が「勝ち組」なることなんてありません。なんせ「自由競争」の社会なワケですから、或る日突然・・・とは言いませんが、会社が倒産したり、リストラの憂き目に遭う可能性はみんな持っているワケです。


日本人が気がつかないTPPの罠




 ワタシね?不自由も自由も、与えられるものではなく自分で選択するものだと思うワケです。「不自由を進んで選択するか?」と思われるでしょうが、自力で苦労して生きるより、奴隷としてラクに生きた方がイイと思う人もいるでしょ?

 どっちが正しいとか言えません。最終的な覚悟の問題です。組織と共に一蓮托生で生きるか、それとも自分でリスクマネジメントしながら生きるか。

 その点で、現代ほど「自由」の在り方が問われている時代は無いと思うし、それは詰まる所、ひとりひとりの心の問題であると思うワケです。不自由を選ぶのも自由なのです。


自由のありがたさというのは精神が感じるモノ


・・・と、言いますが、「通行手形」が無ければ旅行もできなかった江戸時代に比べたら、日本中どこにでも自由に行けるようになった明治時代、庶民は物理的に自由の素晴らしさを実感したことでしょう。何処へ行こうか?と悩んだにしても・・・。

 或る組織が規制強化を望むとしたら、該当組織が既得権(規制)によって守られているからであり、当然ながら同業他社がいる市場の中で、一組織の利権のみがまかり通るハズがありません。ビジネスとは、レッドオーシャンを揃って渡って行かなければならないのです。

 そう考えれば、個人と組織の間で自由の価値に大きな差が有るとはワタシには思えないワケで、才能の有る人は自力でビジネスを起業するでしょうし、特異な才能に恵まれなかった人や、自力で起業するのがメンドクサイ人「就職」という道び、組織としてレッドオーシャンを渡るワケです。

 さらに言えば、日本国内に限らず世界中の企業がレッドオーシャンに参加しているのが現在の世界市場であり、規制(既得権)にしがみ付いていても「アッ!」と言う間に荒波に呑まれてしまうのがオチです。

 つまり、既得権まみれというか、硬直した組織の改変が・・・謂うならば、荒波に耐えられる船への改造が求められており、世界相手のレッドオーシャンを日本丸が往くからには、既得権頼み=旧体質の組織の改革は不可欠であり、組織は規制を望むという認識は古い考え方に思えます。

 新しい時代に則した形に組織を改変できるか?グレードアップ、バージョンアップできるか?というコトだと思うワケです。

 で、組織の改革にしても、社会の改革にしても、村の改革にしても、自分が属するコミュニティーの


当事者になれるか?

  
という意識に掛かっていると、ワタシは思うワケですし、それを個人革命として繰り返し述べているワケです。そして、旧来の利権にまみれていない若者の方が改革の原動力になり得ることも。

 外圧=TPPによって日本を変えるという論調は、ワタシに言わせれば「当事者意識」「コミュニティーへの参加意識」の欠如にしか映りません。高見の見物を決め込み、オイシイおこぼれに預かろうとか・・・。

 従ってみんなが当事者意識に目覚めれば、つまり個人革命が達成できれば、特にカリスマなど現れなくても、社会が・・・日本が・・・世界が・・・自発的に変わるというのがワタシのロジックであり、それこそが真の近代理性であると信じている次第です。はい。

そんじゃーね・・・じゃなくて、


でわっ!