2011年11月8日火曜日

日本再起動

   
 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 この件、どうなるものかと気にしていたワケですよ。例えベトナムに居ようと多摩の人間としてわ。で、周辺の市が小金井市に救いの手を差し伸べたというコトで、「ああ、ヨカッタ、ヨカッタ。」・・・と。多摩(北多摩)のコミュニティーは未だ失われていないんだなあ・・・と、ひとまず安心した次第です。はい。


昭島市などが受け入れへ 小金井市ごみ処理問題(11/11/07)




<引用>

多摩地域 - Wikipedia

<抜粋>

北多摩郡

北多摩郡は現在の武蔵村山・東大和・東村山・清瀬・東久留米・西東京・昭島・立川・国立・小平・国分寺・小金井・府中・三鷹・武蔵野・調布・狛江市及び世田谷区の西部(旧 砧村・千歳村)の区域。1970年に村山町が武蔵村山市に昇格したのを最後に消滅した。旧郡役所所在地:府中町(同上)

</抜粋>

</引用>


 で、北多摩のコミュニティーの絆はナニかというと、武蔵七党に遡るワケです。


<引用>

武蔵七党 - Wikipedia

武蔵七党(むさししちとう)は、平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団の総称である。

横山党、児玉党、猪俣党、村山党、野与党、丹党、西党、綴党、私市党などが知られているが、鎌倉時代末期に成立した『吾妻鏡』には「武蔵七党」との表現がないことから南北朝時代以降の呼び方と考えられており、数え方も文献により異なり一定していない。

<中略>

武蔵七党とされる諸党

武蔵七党とされる諸党は以下の通りである。この他に綴党、私市(きさい)党などがあった。

横山党・・・武蔵国多摩郡横山庄(現在の東京都八王子市付近に当たる)を中心に、大里郡(現埼玉県北部の熊谷市や深谷市とその周辺地域)および比企郡から橘樹郡(現在の神奈川県川崎市の市域に相当)にかけての武蔵国、さらには相模国高座郡(神奈川県の相模川左岸流域一帯)にまで勢力があった・・・(後略)

猪俣党・・・武蔵国那珂郡、現在の埼玉県児玉郡美里町の猪俣館を中心に勢力のあった武士団で・・・(後略)

野与党・・・武蔵国南埼玉郡・北埼玉郡、現在の加須市付近の野与庄を中心に勢力のあった武士団で、足立郡、比企郡などに同族がいた・・・(後略)

村山党・・・武蔵国多摩郡村山郷、現在の入間川付近に勢力のあった一族で、野与党と同族である。村山氏、金子氏、大井氏、仙波氏など・・・(後略)

児玉党・・・武蔵国児玉郡(現在の埼玉県児玉郡)から秩父、大里、入間郡および上野国南部あたりに勢力があった一族・・・(後略)

西党・・・多摩川およびその支流である浅川や秋川流域を地盤とした。「武蔵七党系図」によれば、土着した武蔵国司・日奉宗頼(ひまつり・の・むねより)の子孫が西氏を称し、庶流が土着した地名を苗字としたとされる・・・(後略)

丹党・・・秩父から飯能にかけて活動。平安時代に関東に下った丹治氏の子孫と称する。丹氏、加治氏、勅使河原氏、阿保氏、大関氏、中山氏など・・・(後略)

</引用>


 で、北多摩に根を下ろした武蔵七党ですが、立川市・・・(西党:立川氏)、日野市・・・(西党:日野氏、平山氏)、武蔵村山市・・・(村山党:村山氏)、東村山市・・・(村山党:村山氏)、狛江市・・・(西党:狛江氏)等が大まかな拠点を構え、各氏族は血縁、同盟関係で結ばれ、ま、狭山丘陵の南側から多摩川までの地域は、一大家族関係にあったと言えるワケです。

 そういった過去の歴史を理解した上で、地域利権だとか、地元有力者の横暴だとか、部落差別だとか、「理」に即わない「因習」のようなものは変えていかなければならないワケです。

 今、自分がここに在ることの意味(ルーツ)を確かめ、ま、「近代理性」とやらに照らし合わせて「是は是、非は非」として、地域コミュニティーを再構成できるか?過去の「因習」から解放できるか?が問われていると思うワケです。そしてそれは「地域文化」の破壊などではなく、より理解を深め、豊かにするものだとワタシは思うワケです。

 で、くどいようですがTPPに関して言えば、今まで述べたように本来の地域コミュニティーの良い部分さえも、「保守的だ、改革しろ!」と、一方的に攻撃するものだとワタシには映るワケです。


Noise From The Edge Of The Universe Vol.4 「甲子園が体現する『ジモト』」
2011年10月13日21時00分


 確かに「地元意識」は多摩地区にも残っていますが、地元に対する愛着は肯定されてイイでしょ?それが高じて「排他的」になるのは問題ですが、そうならないように「個人革命」ができるか?・・・と。「是は是、非は非」として、閉鎖的な価値観=「因習」に縛られない地域コミュニティーを、日本を、


再構築


しなければ、新しい時代に適応できなくなるだろうと思う次第です。少なくともコミュニティーに属する「当事者意識」くらいは持っていないと、論理=ロジックでも太刀打ちできないと思うワケです。例えるなら、不法侵入者に・・・


ここはお前の家か?


・・・と詰問されて、


ここはワタシの家だ!


・・・と、自信を持って即答できければ、「家」を乗っ取られてしまう場合もあるというコトです。グローバルな世界を生きるとは、そういう側面もあるワケです。

 そして、世界のグローバル化は不可逆であるからこそ、政治的な確執を超えた、「お蔭様」「お互い様」といった相互理解の精神に、少なくともワタシたち庶民は立ち返らなくてはイカmmmン!・・・と、思うワケです。


小金井市ごみ処理問題:昭島市400トン受け入れへ 年度内、八王子市も検討


日本人が気がつかないTPPの罠




でわっ!